ほんまかいな!45歳で更年期障害のマキャヴィティ。

人より少し早くやってきた更年期障害。自分が自分でなくなる瞬間に何度も遭遇して落ち込む。落ち込まない為に、色々なことにチャレンジするしかない!という事で宅地建物取引士になる!←2019年合格しました! 

【阪神淡路大震災が私の家族に残したもの】震災泥棒→うつ病→失業→アルコール中毒→家庭内暴力→借金→都落ち→糖尿病→壊死→切断→最後にみたもの。

【2021年更新】

今年も今日がやってきましたね。

やはり全ての人に感謝ですね。

思い出したら

涙が止まらないけど

私は頑張ります。

 

【2018年更新】

今年もルミナリエ

綺麗かったですねぇ。

 

 神戸ルミナリエ

   『神戸ルミナリエ』は、阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めるとともに、都市の復興・再生への夢と希望を託し、大震災の起こった1995年の12月に初めて開催しました。
以来、神戸ルミナリエは震災の記憶を語り継ぎ、都市と市民の「希望」を象徴する行事として、毎年開催しています。
今年、2017年で23回目を迎える『神戸ルミナリエ』。
神戸の冬を彩る荘厳な光の芸術作品をぜひご覧ください。

神戸ルミナリエ公式HP参照

 

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2014年ルミナリエの写真 ↑ 

 

毎年、ニュースで

映像が流れるたびに苦しくなる。

 

テレビ、新聞を見るのが辛い。

 

それが

去年(2017年)の夏、

やっと私達家族の

本当に辛い苦しい

阪神淡路大震災に

一区切りついた。

 

 

 

震災泥棒

地震から数日経って

避難場所のテントから

必死に戻ってきたのは

 

母方の

祖父(当時70歳)

祖母(当時66歳)

母の弟のおじさん(当時44歳)

 

 

家に戻ったら

金庫の中身が全部なかった。

宝石類も

書類も。

お金も。

そう

何もかも。

 

うつ病 

うつ病になったのは

おじさん。

 

祖父も祖母も

私の母には黙ってた。

 

私はなんとなく察していた

遊びに行くと

明らかに変だった。

でも

その当時はそんなに重要なこととは

思わなかった。

 

おじさんの失業

仕事にもいけなくなって

退職を余儀なくされた。

もちろん

震災直後、

零細企業に

退職金なんてない。

 

アルコール中毒

アルコール中毒。

 

家にいて、

仕事もなくて

うつ病を発症し

おじさんの心は壊れていった。

 

毎日、働いてもないのに

朝から晩までビールを飲んでいた。

 

 

家庭内暴力

 

当たり前のように

 

祖父母への暴力がはじまった。

毎晩毎晩、祖父母への

暴力が止まらなかった。

家の中はボロボロ。

 

もちろん、祖父母もボロボロ。

 

地獄の連鎖だったと思う。

 

おじさんは祖父母を殴りながら

祖父母はおじさん(息子)に殴られながら

何を思っていたのだろう。

 

 

 

借金

もともと、裕福な家に生まれた

祖母は

震災泥棒にあって

全てをなくしても

 

贅沢な生活がやめられなった。

あの年で

 

小さい頃から

家政婦さんがいた

贅沢な暮らしだったので

 

食事も

買い物も

今まで通り。

 

それと

 

暴力から逃げる為に

夜になると

淀川沿いの橋の下で

祖父母は朝がくるのを

震えながら待っていた。

 

 

ある時から

 

超高級ホテルに泊まってた。

 

借金は膨らみ

銀行に借りていたのが

借りれなくなって

消費者金融数社に借りることとなる。

 

大手銀行の支店長に

借金を

金融業者へ

移行すると

一本の電話が入ってから

 

どうにもならないことに

やっと気づいた祖母は

初めて母に電話をする。

 

その時、既に

借金は金利も含め

10,000,000円超えとなっていた。

 

母は父に頭を下げて

貯金、ゴルフの会員権、生命保険の解約、

借金の肩代わりをして

どうにかその場を逃れた。

 

私は次の「都落ち」する

1ヶ月前まで、その事を知らされてなかった。

 

そんな状態になっても

お嬢様育ちの祖母は

いつもどおり百貨店で買い物をしていた。

 

 

父と母に借金を肩代わりさせてたくせに

知らぬ存ぜんで

私に

「丸ビルのうなぎを食べに行こう」

といったのだ。

 

私は激怒し、

そのうなぎのお金は

パパとママが汗水たらして

必死に稼いたお金です!

 

と、私が言ったら

祖母は

「なによ!たかが3,000円ぐらい!」

「私は悪くない!」と

私に声を荒らげていった。

 

あの光景が今でも

忘れられない。

 

私は初孫で

祖父母に溺愛されていた

 

 

この時からだと思う

私と祖母の関係が

微妙になってきたのは。

 

 都落ち

 

兵庫県の一等地から

親戚の所有する

四国のボロ家を無料で

住ませてもらえる事になり

コンビニもスーパーも

バスさえない

町に住む事になる。

 

糖尿病

四国に移住し、数年して

祖父が胃がんでなくなり

 

以前から糖尿病だった祖母に

加え

おじさんも糖尿病になった。

 

壊死(えし)

 

四国に移住しようが

うつ病は治らない。

むしろ悪化する。

 

同じ家に住んでいながら

おじさんと祖母は

食事以外に会話することもなく

おじさんの左脚が

指先から壊死してるのに

気づかなかった。

 

おじさんは痛みを我慢しながら

ただ黙って生活していた。

 

脚の切断

 

結局、左脚の

太ももから下を切断。

 

最後にみたもの

2017年2月。

おじさんは66歳の年になり

四国の病院で亡くなった。

嘘のように

いい顔してた。

 

2017年8月。

祖母は88歳の誕生日を

目前に

広島の病院で亡くなった。

死に顔は見てない。

 

最後に・・・。

1995年1月17日から

2017年8月22日まで

8253日。

22年と7ヶ月と5日

 

一番苦しかったであろう

 

私の母(今年70歳)

そしてそれを隣で見ていた父(今年74歳)

そして私達家族全員。

 

祖母が亡くなったことで

一区切りがついたのかもしれない。

 

もしかしたら

記憶が間違っているかもしれない

勘違いがあるかもしれない

思い過ごしがあったかもしれない

しらされていないこともあったかもしれない。

 

でも

ひとつ

確実に言えることは

震災泥棒さえ

いなければ・・・。

 

全てそれが原因とは言わないけど

 

でもやっぱりあれが

 

苦しくて、悔しくて

 

憤りでいっぱいの22年間

あれ依頼

何も楽しいことことに

出会えず

全てを恨んで死んでいった

 

祖母の思いだと

私は思っている。

 

もし、

今後、

生活の為に、快楽の為に、

業務的に、

震災泥棒をしようと 

考えてる人がいたら

 

少し目を閉じて

深呼吸して

 

あなたが軽い気持ちでやった

その行為の後、

震災で辛い気持ちの人々に

追い打ちをかける。

 

それもその人が

この世を去るまで

傷つけ続けるという事を

考えてみて欲しい。

 

あなたが、

あたなの大切な子供が

大切な家族が

被害者になることもあるという事を

少し考えて

 

その行為を思いとどまってもらえたら

 

22年間、家族中で苦しんだ意味も

ほんのほんのほんの少しはある。

 

本当に最後に・・・。

私達姉妹は

両親にとても感謝している

当時、何も知らなかった私が

結婚すると言ったとき。

 

当たり前のように

お金をだしてくれた。

(私がいけないのだが)

 

祖父母の借金のことを

知っていれば

結婚式なんて海外でしなかった。

籍をいれるだけで十分だった。

(結果的に離婚したし)

 

私は

小さい時から

迷惑をかけ、お金を使わせ、

 

両親に孫の顔すら

みせてあげる事もできなかった。

未だに親孝行なんて

ひとつもできてない。

 

父も母も

未だにあの時の

借金返済の為に

働いている。

 

今年、祖母が亡くなったことを

私たち家族の

ひとつの区切りとして。

 

今いる

大切な両親

大切な旦那

大切な妹

大切な姪っ子

大切な子供達

(キャストさん達)

 

 

これからを考えて

少しでも

親孝行できたらと

思う

2017年の12月でした。

 

 長文、最後までありがとうございました。

 

※あくまでも

区切りをつけるために

書きたかった

個人の思いです。

失礼がありましたら、お許しください。

 

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もがいてる ↑ 

 

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